2015年3月12日

子ども夢ハウスおおつち

子ども夢ハウスおおつちの、光る風船フロジェクトに、多くの皆様のご支援をいただき、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

前日の10日には、夢ハウスのすぐ隣の大きな小屋が、暴風により後ろの山に寄りかかり傾いて、消防団と消防の皆様のお力を借りて解体されていました。そのくらいの暴風が、前日から沿岸全域に停滞していました。

風は強く、両足をついて立っているのもやっと。風船は、飛ばせるのだろうかと心配しながらも、多くの皆様のお力添えで、準備は進んでいるとのことを、到着した15時過ぎに藤原先生と吉山くんから教えてもらいました。インフルエンザですっかり痩せた?宣承さんにもお会いできました。「西和賀が、雪で大変なことになってるから、帰ります!」その言葉に、心配しながら、皆んなでお見送りしました。(弊社ホームページのトップページ、宣セーショナルをご覧ください)

14時46分の黙祷は、夢ハウスに通う子どもたちの親御さんで、やっと復活した事業の仕事が多忙で、風船に来れないかなと思い、仕事先を訪ねて一緒に黙祷。その近くの復興工事中の現場の皆さんも、機械を全て止めて、20名くらいの方全員が海に向かい、整列され、サイレンが鳴り響く被災地に於いて、黙祷をされていました。

その後、夢ハウスへ向かいました。車で走っていると、様々な場所で法要が行われていました。岩手県の行方不明者数は、まだ1000名を超えていて、昨日は、警察の一斉捜索も行われていました。(現在でも、月命日の毎月11日には行われている、ありがたい一斉捜索です。)

子どもたちは、光る風船プロジェクトに集まられた大勢の人たちを見て、少々興奮気味。横ちゃんとお母さん方々は食事の賄い準備。藤原先生と吉山くんは、極寒の中で準備と采配をされていたので、血の気が引いて顔が青くなっていました。倒れるのではないかと、みんなで心配しました。

山梨県からお出でいただいた6名の僧侶の皆様により法要をいただき、集まられた皆さんの気持ちが、一つになりました。

この暴風の中では、風船が飛ばせないかもしれない・・・。決行か中止か、藤原先生の決断を、皆が空を見上げ、無言で気持ちを引き締めて待っていました。

不思議なことってあるんです。あんなに強い風が吹いていたのに、風船を飛ばす時間にはピタリと風が止みました。

町民の皆さんが書いた、お空の上に行かれた家族へのメッセージは、それぞれに光る風船に結ばれ、メッセージを乗せた風船が、風が止んだ空へと、ゆっくりゆっくり上がって行きました。

「お空の上で、みんな、お手紙を待っているんだね。」風船にメッセージを結ぶ手伝いをさせてもらっていた私の傍で、小学生の男の子がポツリとつぶやき、空に上がっていく自分の風船が空に消えるまで、ずっと手を振りながら見ていました。誰に書いたのかな?と思って彼を見ていると、「きっと、今、届いたよ!」と、笑顔で話してくれました。彼の風船は、もう見えなくなっていたので、お空の上の大切な家族に、届いたのだと私も思いました。初めて会った子だったけど、私と彼とハイタッチをして、「またね!」とお別れをしました。

津波で亡くなられた町の人の数の、約1300個の風船を飛ばし終えた頃、すっかり忘れていたあの暴風が戻ってきて、おまけに雪まで降り始めました。本当に風船を飛ばす、あの時だけ止んだ風でした。

采配のマイクを握ったまま、涙が止まらなくなった藤原先生の姿・・・、地域、町民の皆さんと心が一つになった時間でした。

東日本大震災の発生から5年目を迎えます。一人一人の東日本大震災があり、一人一人の背景の中で、踏ん張りながらの生活にみんな、戻ります。沿岸でお参りできた人、仕事があるから内陸の地から沿岸に心を馳せた人、様々です。311の前の何度も起きた地震・・・、気持ちが不安定になり、震えが出たり、涙が急に出たり、倦怠感に襲われたり、身体にも大きな影響が出ていました。去年とも又違う、昨日の命日である311は、また、一人一人の心に刻まれた1日だったと思います。

皆さまのご支援、心から感謝を申し上げます。各被災地、子ども夢ハウスおおつち、引き続き皆さまのご支援を、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。